東京ろまん建築巡礼 旧文化学院(BS日本放送)  東京の中心にあるユートピア建築 東京 建築

東京の中心にあるユートピア建築

「オチャノミズ」不思議な響きを持つ地名です。東京にいる人にとっては馴染みがありますが、地方の人たちには珍しい地名に聞こえるようです。学校や橋の名前は「お茶の水」と表記しますが、駅名は「御茶ノ水」です。残念ながら町名としては残っていません。

日本のカルチェラタンとも呼ばれる東京・お茶の水に素敵な建築が残されています。
旧文化学院の校舎です。西村伊作、与謝野晶子、与謝野鉄幹、石井柏亭らによって創設され、「国の学校令によらない自由で独創的な学校」という新しい教育を掲げ、「小さくても善いものを」「感性豊かな人間を育てる」などを狙いとした教育が展開されたのだそうです。日本で初めての男女平等教育を実施、共学をモットーとしました。日本文化のみならず、キリスト教精神、西洋文化的教育が盛んに行われ、教員に多くの外国人を登用しました。創立当時から制服はなく、和服より洋服を推奨し、当時生徒のほとんどが洋服を着ていたそうです。その頃から文化学院はモダンな学生の集団として見られていたようです。 創立当時から、多くの日本を代表する著名人、文化人、芸術家、西洋人たちによって教育が行われ、さらに多くの著名人、文化人、芸術家を生み出しています。日本の現代史、文化史においても重要な位置づけにあった学校なのです。

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巨大アーチが人を優しく包み込む

かつて教員はじめ、在校生、卒業生たちからはユートピアと評され、学生の憧れの的だったといいます。「自由」「知性」「芸術」のシンボルでもあったキャンパスでした。


創設者のひとり、西村伊作が設計した旧校舎のエントランス部分イメージを極力踏襲するよう坂倉建築研究所によって保存工事がなされました。エントランスゲートのアーチを、階段、ホールに適用して新しく生まれ変わりました。
トンネルをくぐると階段を上った先にあるロビーがありました。

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教育と建築の理念が一体となった理想的建築

英国のコテージ風であったといわれる最初の校舎は関東大震災で焼失してしまったそうです。その後、1937(昭和12年)に鉄筋コンクリート4階建の校舎が完成しました。西村伊作は旧校舎の設計にあたって、「小さくても善いものを」という教育理念を象徴するような建物を目指したそうです。ここに訪れたのは夏の暑い日のことでしたが、ひんやりとアーチが包み込んでくれて清涼感を味わうことが出来ました。教育理念が具現化した建物だったのでしょう。東京・千代田区の登録文化財にも指定され、お茶の水のシンボル的な建築物です。

〈メモ〉
JR・地下鉄各線「御茶ノ水」駅徒歩5分
東京都千代田区神田駿河台2丁目5番地

東京ろまん建築巡礼

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