東京の中心に建つ歴史ある教会建築
東京・JR水道橋駅東口横の白山通りを南下していくこと歩いて8分。
通りからも大きな教会がそびえているのが目に飛び込んできます。これがカトリック神田教会です。以前にご紹介したカトリック築地教会と、この神田教会は、東京において明治期のキリシタン禁教の解禁後に比較的早い段階から日本人に向けて開かれていた教会で、美しい建築物として知られている現在の聖堂は国の登録有形文化財に登録されています。
1872(明治5)年、フランス公使ベルトミーを介して、現在の千代田区三番町にあった旧旗本亀井勇之助の家屋敷を借りて司祭養成の神学校を開校しました。当時はまだキリスト教が禁止されていたため、表向きは英語・フランス語・ドイツ語の他、ラテン語を教える外国語学校としました。この学校は1874(明治7)年、増え続ける入学志願者を収容しきれなくなったため、再びベルトミーに助力を願い、神田区猿楽町(現在の千代田区西神田1丁目)の土地を購入して移転しました。そしてこの学校の大広間に聖フランシスコ・ザビエルを保護聖人とする聖堂が設置されたのがこの教会の始まりでした。
幾度もの試練に耐えて
1878年(明治11年)10月、学校は閉鎖されましたが、聖堂は教会として独立し1882年(明治15年)にはフランスの修道会が、神田教会の敷地内に孤児院や小学校(現在の白百合学園中学校・高等学校)を建て活動を始めました。
1891(明治24)年の濃尾地震により被災した神田教会の古い建築は、1894(明治27)年の明治東京地震によって修繕が必要になりました。教会は1896(明治29)年、地震や火災に強いゴシック式の新聖堂を完成させました。しかし1913(大正2)年の大火で教会、仏英和学校、シャルトル聖パウロ修道女会修道院他、近隣2100戸が罹災してしまったのです!
同年に仮聖堂が建てられ、1915年(大正4)年には主任司祭のジャン・マリー・シェレルの設計によるレンガ造の新聖堂が落成しました。しかしこれも1923年(大正12)年の関東大震災により全壊、焼してしまったのです。震災後、道路拡張や区画整理等の問題で再建が遅れましたが、1928(昭和2)年に現在の聖堂が完成しました。この聖堂は第二次大戦の戦災からも守られて、現在に至っているのです。
麗しいバシリカ形式の建築
鉄骨鉄筋コンクリート造りのバシリカ形式の三廊式聖堂です。半円アーチを基調とした開口部,ロンバルド帯風の軒蛇腹,四つ葉をモチーフとした胴蛇腹が外観を飾り、半円アーチのヴォールト天井と玄関脇に集会所を設ける平面を特徴としています。設計は瀟洒な廊下で有名な上智大学1号館などを設計したマックス・ヒンデルであると言われています。2002(平成14)年に国の登録文化財にも登録されました。
〈メモ〉
☆所在地:東京都千代田区西神田1-1-12
JR・水道橋駅東口下車 徒歩7分
地下鉄・都営三田線水道橋駅A1出口 徒歩8分
地下鉄・営団半蔵門線、都営三田線・新宿線神保町A5出口 徒歩7分
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